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恐怖を科学する(そして克服する方法)

  • 2021.09.06
恐怖を科学する(そして克服する方法)
エヴァ・ホランドがユーコンのトゥームストーン準州立公園にて、一人でバックパッキングをした際に撮影した自画像
大自然の中で冒険を続けてきたエヴァ・ホランドは、新書『Nerve』の中で、人生で困難な局面が訪れたときに、麻痺したような不安を克服する方法を紹介しています。

エヴァ・ホランドは、“世界で最も寒く過酷なレース”と言われるユーコン・アークティック・ウルトラに参加する作家です。参加の理由は「やってみなければ理解できないし、興味があったから」と話します。また、エクストリーム・ポーラー・トレーニングのコースを試してみたかったというのも理由のひとつでした。
彼女はホワイトホースを拠点とするフリーランサーとして、『Outside』誌に定期的に寄稿し、38歳のこの春、ブックツアーのマラソンに参加するはずでしたが、Covid-19のために自宅待機となりました。
新書『Nerve』では、彼女は自分の最大の恐怖に直面し、その理解と治療法を求めて科学に目を向けています。初めて本をこの世に出すことにはプレッシャーもありましたが、出版テーマは、意図せずしてタイムリーなものとなりました。

Eva Holland Nerve book cover

ユーコンは、冬夜18時間と長く最低気温が-40℃となり、夏は蚊やグリズリーの大群がいても、ホランドにとっては問題ではありません。2009年11月彼女がホワイトホースへ引っ越す前、従弟のネイサンを訪ねホワイトホースへ行き、最も恐ろしいものの一つに遭遇しました。
オタワ出身のホランドは、日帰りのハイキングに興味を持ち、初歩的なキャンプをしたことがあるだけでした。彼女はネイサンにハイキングが好きなことを伝えると、彼は良いルートを知っていると言って、二人で出かけました。
「60キロもある3日間のバックパッキングのチャレンジングなコースに連れてかれて。」と彼女は微笑みました。「小川を渡ったり、グリズリーベアに遭遇したり、擦り傷や水ぶくれができたり、ちょっとした試練と驚きの連続でした。」(と、会話の後半、ホランドはグリズリーベアが母グマと子グマだったことをさりげなく語っていました。)

ホランドがホワイトホースに移住したのは、アウトドア派になることが理由ではありませんでした。フリーランスライターとしてのキャリアをスタートさせたばかりの彼女は、極北の地であれば、競争相手がいないことに気持ちが救われながら、豊かなストーリーを生み出すことができると期待を膨らませていたのです。
彼女自身こんなにも永く移住するとは思わず、すっかりこのコミュニティに惚れ込んでいったのでした。ここは友人が事実上の家族を形成し、休日の祝い事でさえ血縁関係に縛られません。
 「他の場所では見られなかったような方法で、人々がお互いに心を開いていることに気が付きました。一人暮らしをしていれば、クリスマスには少なくとも3回は招待されることになるでしょうね。」と話します。
このコミュニティは、時間とお金のほとんどを広大な自然での冒険に費やしているようで、そのため彼女はバックカントリーやエクストリームな体験に常に招待されていました。

「基本的には、友人たちと一緒に出かけたいと思っていましたが、彼らがとてもアクティブなので、私もやらざるを得ませんでした。」それ以来、バックパッキング、シーカヤック、マウンテンバイク、クライミングを始めたと話します。『Nerve』の冒頭では、2016年に友人のライアンとキャリーをはじめとする十数人とアイスクライミングに挑戦した話があります。毎年2月にブリティッシュ・コロンビア州北部を訪れるツアーにホランドは初めて参加したのですが、読者はすぐにホランドの長年の恐怖である高所恐怖症を知ることになります。クライミング中の何でもない場所で、彼女はパニックに陥り、前に進めなくなってしまうのです。

ホランドが落下恐怖症になったきっかけは、3〜4歳の頃にさかのぼります。トロント・ピアソン空港の長いエスカレーターの上に立っていた彼女は、一歩踏み出して固まってしまいました。エスカレーターに乗っている足とプラットフォームに乗っている足が離れすぎていたため、彼女は金属製のギザギザの階段を転げ落ちました。
しかし、何故か高所恐怖症の父親は、彼女が本を書き終えた後に、彼女の恐怖反応を動かすきっかけとなったかもしれない別の出来事を思い出していてそれは:「車で旅行に行ったとき、母と私は公園の小道を下っていたのですが、崖から落ちそうになって、父はパニックになりました。最近になって、高所恐怖症の原因はそのことだと言われました。
私は『お父さん、今更だけど教えてくれてありがとう』と思っていました。」と笑いました。

Eva Holland ice climbing
「Nerve」を書くきっかけとなったアイスクライミング中のエヴァ・ホランド。キャリー・マクレランドが撮影

エスカレーターでもアイスクライミングでも、ホランドは同じようにパニックに陥っていましたが、大人になると少し違います。今回のケースでは、冷静なコーチングにより、彼女は動揺して恥ずかしい思いをしただけで済みましたが、もっとひどいことになっていたかもしれません-友人を危険にさらすことになっていたかもしれないのです。それがホランドを恐怖克服の実験へと駆り立てました。しかし、彼女に挑戦する力を与えたのは、その1年も前に起きた、更なる恐怖でした。

2015年7月、BC州北部で友人たちと別のバックカントリーをしていたホランドは、オタワにいる60歳の母親が回復しない脳卒中を患っていることを知りました。愛する人の死や、自分自身の死、死に対する恐怖は誰もが抱えているものですが、ホランドにとっては特に強い恐怖でした。彼女の母親であるキャサリンは、彼女がまだ10歳のときに自分の母親を亡くしており、そのことで揺らぐことのない重たさを感じていたようです。この本の中でホランドは、「私は母に対する恐怖心を絡み合わせていました。母を傷つけるのではないか、失うのではないか、失うことで母のようになってしまうのではないか、と。私は母を愛し、尊敬していましたが、同じ悲しみを自分の人生に持ちたくありませんでした。」

母の死から3ヶ月後、ホランドは自分を癒すためにモンタナ州へハイキングとキャンプの旅に出かけました。大自然にはそのような効果があると感じていましたが、広大な土地に一人でいることは、むなしさを際立たせるだけのように思えました。友人に会うためにワイオミング州とコロラド州に寄り道し、ライター・イン・レジデンスをするためにアルバータ州に戻って新しい友人を作り、ワシントン州、オレゴン州、そして最後にカリフォルニア州で2人の友人と合流してジョシュアツリー国立公園を探索するというロードトリップを続けました。悲しみを乗り越えて、より強くなっていく自分を感じていました。

しかし、もう一つの恐怖がありました。母親と義理の父親が所有する古いスバルでアリゾナから帰宅した際、2ヶ月前のアイスクライミングでパニックになった場所からそう遠くない場所で、ホランドは氷の嵐に遭い、溝にひっくり返ってしまったのです。体は無事でしたが、ここ数年で3回目の交通事故に遭ったこともあり、恐怖で精神的に参っていました。その夜、病院で経過観察を受けながら、彼女はこの本を書くことを決意したのです。

『Nerve』でホランドは、自分の恐怖心を理解するために記憶を整理しながら、その背後にある科学的な側面も探っています。脳がどのように恐怖を読み取り、それに反応するかを調べています。リズミカルな眼球運動を伴う治療法や、恐怖を感じた後に薬を飲む治療法など、有望な治療法を試しています。彼女は、扁桃体(恐怖反応を司る脳の領域)を標的とし、恐怖を感じることができない珍しい病気の女性と、恐怖心がないと思われている男性を研究しています。

恐れを知らないと思われる男性とは、記録的なエル・キャピタンのフリーソロで知られるクライマーのアレックス・オノルドです。彼はたまたま扁桃体が機能していますが、例えば2,307メートルの一枚岩をロープなしで登るなど、冷静さを保つ必要があるときには恐怖反応をコントロールしているようです。ホランドは、そのような偉業を成し遂げようとしているわけではありませんが、恐怖に立ち向かう時に彼と同じ冷静さを求め、『Nerve』の最後には、彼女はそれを見つけることができました。「最近、いろいろなことが起こっている中で、私はかなり回復力があると感じています。「恐ろしい時代ですが、以前のようにではなく、この本で学んだことを生かして、このパンデミックに立ち向かえたことを嬉しく思います。」と微笑みながら語っています。